「信じること」と「善い行い」
こんにちは。ここずっと、忙しさを理由に「礼拝要約」を送れず仕舞いでした。
また不規則となりますが再開できればと思います。読んでいただけるなら幸いです。
8月19日と25日と2週間「信仰によって救われる」ということの確認、
救いは「信仰」によって、「行い」によっては救われないことをテーマに考えました。
聖書の「救い」は「永遠のいのち」を得ることです。
そして救われたなら、「救われた人(永遠の命を知った人)」は「善い行い」をしながら、
「神様を信じて生きていること、活かされていること」を人々に喜んで「あかし」を
しながら生きることになることを考えました。
聖書箇所:「あなたがたの光を人々に掲げなさい」(マタイ5章16節)
「光」は「希望」です。わたしたちの希望は「イエス様」にあります。
わたしたち自身では輝くこと(善い行いをすること)はできません。
ちょうど月が太陽の光を反射して輝くように、
それはおぼろげですが、わたしたちはイエス様を信じることで
得られる希望を反映して輝くことができます。
「善い業(愛し合うこと=十字架を背負うこと)は「神様のもの」です。
神様の愛を受け取った人は、自分を愛してくださったイエス様の存在を
「自分の生き方」を通して伝えること、希望を伝えることはできます。
わたしたちが希望をもって生きる姿は、人々の光・希望となります。
皆様の心にもいつも「希望の光」が照らされますように。
関連する聖書箇所
マタイ福音書19章16節
エフェソの信徒への手紙2章10節
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